2012年7月26日木曜日
☆2か月☆子育てが楽しくなってきた訳
あと2日もたては娘は満3か月。
置いたら泣いちゃうなんてことも相変わらず多いけれども、全力投球子育て、痛い・眠いの全身疲労困憊のピークは終わったと思う。
仕事でもなんでもそうだけど、3か月も同じことをやってくると、大変なことでも、慣れてくるものだ。
子育ても、きっとそう。どうしたら泣いちゃうのか、泣いたらどうすべきなのか、寝てる時にやるべきことは…その傾向と対策が少しずつ分かって、あわてなくなる。慣れが心の余裕を作る。
それで慣れたから子育てが楽しくなってきた。というのもあるけれども、
楽しくなってきた理由はそれだけじゃない。
ここ最近の娘の劇的な変化がたぶん楽しくなってきた理由。
1、夜まとめて寝る
今まで長くても3時間ごとに夜中目を覚ましていたのに、長いと5時間寝るようになった。よって睡眠不足解消。
2、笑顔になることが多くなった
今までは顔の筋肉の動きで笑っているようにみえる新生児微笑状態だったのが最近ごきげんな時は、あやすと笑うようになった。笑ってくれるのが嬉しくってたまらない。赤ちゃんじゃなくとも、笑顔を見せるということは、まわりにとって大事なんだと感じる。
3、自分をじっと見てくれるようになった
目でものをおえるようになって、私を見てくれる回数が一段と増えた。今までは飲むものがありさえすれば、だれでもよかった?と思えることばかりだったけど、たくさん人がいても私を見てくれる、自分を探してくれていることが確認できるだけで、アイデンティティが確立されるというか、なんというか。自分がいる意味が見えてくる。母としてはとても嬉しいlことだ。
そんな変化のおかげで、子育てが楽しいといえるようになってきた。
最近は外出も問題なくできるようになって、行動範囲も拡大中。
何はともあれ、きわめて順調。ありがたいことです。
2012年6月10日日曜日
☆1か月☆タイムマネージメントを
左手でご飯をたべながら、youtubeみつつ、右手で子どもをだっこしてゆらす。
乳首がいたいよーといいつつ、おいしそうにのむわが子の笑顔にニヤリとする。
3時間乳をやらないと、左乳だけが爆発寸前のカチカチ山になる。
ママのにおいがするらしい自分は旦那からオッパイ魔人だの、母乳マシンといわれる。
2か月前には想像もできなかったことだらけだ。
こどもをかかえ、自宅に帰ってきて一週間がたった。
24時間体制子育て体制。
同じ家に帰ってきたとは思えないほど、以前とはまったく違う生活…でもそれも少しずつだが慣れてきた気がする。出産してから人生初!を何度経験してるんだろう。おもしろいことだらけだし、大変なことだらけだ。
一人暮らし、結婚・・・と生活スタイルがかわる出来事は今までにだってあったけれど、これほどまでに生活が変わったことはないのではないかと思う。
その中でももっとも変わった点が「時間の使い方」だ。
平日、旦那は終電帰り。やるべきことは一人でこなすしかない。
熟睡モードに入るまでは、置いたら泣いちゃう我が姫。
泣き始めたら両手はふさがる。授乳も2時間ごとだ。
でも、TODOリストには、やるべきことがいっぱい。
なので、寝た瞬間に、「しめた!やるぞ!」と重要なものから片づける。
しかし調子よくこなせるかなと思っても大体泣かれて、中断。
最初の3日間は、普段通りに家事をこなしたせいで、夕飯完成に4時間かかって、へろへろになったりしたけど今は先に何をやるべきなのか、優先順位のつけ方がうまくなり、バッファもとれるようになった。
そして、多少泣かせておく。に抵抗がなくなったのも大きい。
実家にいるときは1分泣かせておくのも、つらかったけど、5分くらいならいいか。なんて思いながら、キリのいいとこまで作業を進める。
前よりもストレスから解放されてきたような。
こうした生活をするうちに、
今まで随分優雅な時間の使い方してきたのだなと思うようになった。
タイムマネージメントのトレーニングには、子育てを推奨したい気分だ。
そして、次なる課題は、筋肉。
半端ない食欲旺盛ぶりで、予定より早くヘビーなベビーになってきたわが子。
今はいいが腕の筋肉がヤバそうだ…
2012年5月31日木曜日
☆0か月☆はじめての蛍
一昨日は一ヶ月検診。母子共に問題なく、外出もお風呂も解禁!
ということで昨日出産後(病院以外の)初めての外出をしてきた。
行ったのは、うちから一番近くの川。「侍従川」
この川には、毎年蛍がくるそうで、
父が夜散歩に行こうと誘ってくれたので、子どもを連れて久々に家族でお散歩。
川に行くと、近所の方が「いますよいますよー」と教えてくれた。
私達が蛍に喜んでいると、そばを歩いていた今風の女子高生たちが「え?蛍?」と寄ってきて
「やばい!初めてみたー!!!」なんて場面もあって、なかなか楽しい。
この日は20匹以上の蛍をみたけど、ここまで見られることはなかなかないらしい。
見に来た方々老若男女みな喜ぶ様子がいろんな所で見られた。
写真は暗すぎて撮れなかったけれども、
見知らぬ人同士が自然風景をみて感動し合い、言葉をかけるなんて、
東京の風景ではなかなかないことだなあなんて、感心。
横浜(限りなくはしっこだけど)もまだまだ捨てたものじゃないですな。
(川の改修工事が始まるらしく来年は見れないかもしれないというから残念だ)
しかし・・・
気がついたら1時間以上歩き回っていたわけだけれども、こんな歩くのは実に1ヵ月半ぶり
しかも3,5kgの子を前にだっこひもでドキドキしながらおぶったためか、腰も痛いし、傷も痛い。
帰って来た早々にダウン。。。
ぐったりしながら授乳してそのまま沈没。
元気になったとはいえまだまだ出産前の体力は戻っていない様子。
自宅に戻ったら買い物などで徐々に慣らしていくしかないなあ。と思った新米母なのでした。
2012年5月7日月曜日
こんにちは、赤ちゃん!
4月26日に女の子が産まれました!!!!
予定日よりも2週間早く、帝王切開になってしまったけれども、体重およそ2700g。
未熟児扱いにならず、髪も、筆が3本ぐらい作れるんじゃないかと思うほどふさふさ!
地蔵菩薩のような我が子とご対面したのは、手術開始からわずか10分の事。
手術日からはもう、衝撃の連続で、怒涛の日々でした。
特にすごかった衝撃を3つ、忘れないように書いておこうと思います。
衝撃①
【手術日の夜はひとりホラーハウス。】
痛み止めを背中の管からいれてもらっているものの、傷が痛いのと、後陣痛(子宮の収縮)のダブルで痛いのと起き上がれないのと、尿管気持ち悪い・・・
ゆえに一睡も出来ず、でっかいクマの出現と共にやってくるニッポンの夜明け・・・
夜中じゅう、「苦しい、痛い・・・」をすすり泣いて、この時ばかりは「もうこどもなんて産まない!」って思ってしまったけど、
朝開口一番に看護士さんに行った言葉は「お腹すいた・・・」
1日半以上ものを食べないなんて無理無理無理無理。ダメージダメージ。
衝撃②
【隣の分娩室。】
産まれた翌日は点滴、背中に管、尿管はいりっぱなしのふらふら状態で歩いて20m先の授乳室へ。なんとかたどり着いたものの
しかし、途中で立っていられなくなり、けっきょく車椅子での移動に。
一昨日まで健常者だったのに・・・なんだこの落差。
授乳室についたら、母乳はでないがとにかく吸わせる。
最初はでずに、となりの出のいいお母さんを横目にいいなあとつぶやいてみる。
すると、となりからすごい絶叫やうめき声が聞こえてきた
「死ぬうううううううぅぅぅ」とか
「痛いぃぃぃぃぃぃ」とか
北斗の拳かジョジョとかでしか聞いた事のないセリフが!
隣はカーテン隔てて分娩室。
「自然分娩まじこわい・・・」
経験してないカイザーの佐藤さん(帝王切開の人はスタッフ間でこう呼ばれる)はガクブル。
でもそのすぐあとに「おめでとうございますー」なんて聞こえると
授乳室じゅうのお母さん達が「良かった、良かった、おつかれさま」といい、ほっとした空気が流れる。
そうして次に授乳室を訪れる頃には小さなベッドが増えているのだ。
ちなみに今回帝王切開で前回自然分娩、両方をこの病院で経験したお母さんに、どっちが楽か聞いてみた。
返答は
「いや、どっちにしろツライですね・・・」と苦笑い。
どんな手段にしろお産は大変だ。ということです。
衝撃③
【そうして突然「母」となる。】
胎盤がはがれると、とたんに母乳出せの指令が体をめぐるらしい。
こんな貧乳だし、ほんとに母乳なんぞでるのかな?と思ったけれど
手術の3日後には、突然胸に鉄のパットがはいったかと思うくらいカチカチに!
「でた!おっぱい一夜城」
サイズが2サイズくらいあがったんじゃなかろうか、熱まででて、もはや腹の傷のことを忘れるほど痛くなった。
助産師さんにみせたら、「おおーすごい張ってきましたねーマッサージしましょう」
授乳室、たくさんのママがいる前で、胸を揉みしだかれ
「ぎゃあああああああああああああ」
「ごめんね、痛いね、我慢してね・・・」
「痛いです、ほんと痛いです・・・えーん」
公開処刑か!
と思うほど、痛くて泣いた。
その日から3日間、胸専用の氷みたいなので、冷やし続け、夜中のマッサージ。
最後のマッサージでは、ビームがでて
退院の頃には「素晴らしいおっぱいの持ち主」といわれるまでに。
しかし、吸いづらい私の胸は、傷だらけのローラ。
依然飲んでもらうたびに激痛なのだった・・・
* * * * *
とまあ、痛いことだらけの入院生活だったけれども、
痛みをかみしめる間もなく、次から次へと新しい大変な事が発生するため、どんだけ痛かったのか思い出せない。
実は開腹手術は2度目で10年前同じ場所を切った。
でも何も生まれない手術と、生命が誕生する手術ではまったく違う。
痛い以上の大きな感動。この子を守らなきゃ、育てなきゃという使命感があって、
回復力も全然違うのには驚いた。(前回、翌日立ち上がることさえ出来なかった。)
出産って、大変だけど、女でしか味わえないすごい経験だなとあらためて思う。
それから何の問題もなく、無事に生まれてきた我が子に感謝したい。
多くの方が子が出来ない事に悩む中で、そもそも子どもを授かる事体ありがたいことで、
多くの人が流産や異常な妊娠をして、大変な思いをするなかで、私はたいした問題なく、お産の1ヶ月前まで働くことができ、
お産だって(帝王切開は、自然分娩以外なので異常な分娩と母子手帳には書かれてしまうけれども)むしろ計画的で、心配性の私や家族にはむしろ安心安全な方法だった。
同じ部屋のお母さんの子どもは、重度の障害をもって生まれてきたようで、1日泣き続けていたけれども、出産後も子に異常もなく、妊娠出産時期、わたしはとても幸運だったと思う。
支えてくれた皆さん、応援してくれたみなさん、
本当にありがとうございました!
さて、これからはじまる長い長い子育て時期、楽しく、頑張ります。
2012年4月23日月曜日
不思議な1ヶ月③【再び対話と回転】
鍼灸院は新逗子駅から1分の所にあった、海が近い。
ご自宅のアパートを一部治療室にしているので、まるで人のうちに遊びにきたみたいだ。
ハーブのとてもいい香りがするこの部屋は、カラーセラピーのボトルや、ヒーリング系の絵などが飾ってあるので、治療室というには、ちょっとかたすぎくらいだった。
先生は笑顔が美しい女性の先生。
一通り問診が終ると、私の手をとって、お腹の子と通信をし始めた。
私は人に手を握られると、途端にありえないほど汗をかくので、それが気になって気になってしょうがなかったのだが、先生はものともせず、目をつぶって、感じたことを話してくださった。
羊水が冷たくって、回りづらい。
ということを聞いた。
お母さんが、働きすぎていて、とても心配になったとも言われた。
それが自分のせいかもしれないと、思っていると。
先生は、この子はとても優しい子ですねと言ってくださった。
また涙が出た。
その後は、回りやすいお腹にするためにお灸とマッサージを受けた。
とても心地がよかった。
最後に甘茶をいただいて、治療が終わった。
終始不思議な気分だった。その日は1日、お腹が張る事はなかった。
お腹が柔らかくて、子どもはよく動いた。
・・・
2日後、外回転治療のため、再び池川先生のところへ赴いた。
でも、私はもう、回っても回らなくても、どちらでもよかった。この子に任せようと思った。
先生はなにやら不思議な曼荼羅を部屋において治療を始めた。
かわった形だったので、質問すると、どうやらお知り合いの強いパワーを持つ先生のお力添えをしてもらうためのお守りだそうだ。
その先生とは、ずっと昔の前世でのお付き合いがあり、時代は卑弥呼の時代。
二人とも産婆だったそうだ。
なんとも不思議な話である。
池川先生はこんな話すると嫌がる人もいるので、なんていわれたが、私はこういった話嫌いじゃないし、むしろ前世はあると信じたい方だ。
子どもはというと、頭の位置は変わったものの、依然としてまた逆子だった。
鍼灸に行ったかいもあってか、前回より随分回りやすくなりましたねと先生は言った。
でもやっぱりくるんとはいかない。
治療はやっぱり痛かった。
先生が音楽にあわせて振動が伝わる座布団を出してきた。
ヒーリング音楽がテンポのいいものにかわった。
この子は、音楽にあわせて体を動かすのが好きだと感じましたので。
なんて言われた。もしやそれは父親譲りか・・・
またレメディの砂糖玉もでてきた。
1時間たって
先生は、ここまで行くとくるんってなるんですけどね。
どうやら、回りたくない何かがあるようですよ。続けますかといわれたので、
時間が許す限りはと伝えて続けてもらった。
じゃあ最後に頑張ってみます!と先生はさらに力を入れた。
正直とても痛かった。
・・・やっぱり、回りたくないみたいですね。
ここまで来て、頭が下に来ないのは何か理由があることが多いんです。
20分後、汗をかきながら、先生はついに断念した。
一生懸命やってくださった先生には、感謝の言葉しかなかった。
先生は最後に5分ほど、お腹に手を当てて、何か感じ取っているようだった。
そしてゆっくりとお話し始めた。
僕は、紹介した他の先生に比べたら、胎児の力や思いを感じ取る能力は、まだまだなんですが
こんな僕でも感じるほど、すごい光を放ってますね。
この子は、普通の子じゃないと思います。
ここまで、すさまじいエネルギーを持った子はなかなかいません。
この世に必要な人になりますよ、安全に生まれてくるべき人です。
まだ生まれていないのに、
まさかそこまで褒められるとは、ビックリしたし、嬉しかった。
それが本当になるのかどうかは、分からないけれども、
(というか自分の力量を試される気もするけど)なんだか希望が湧いてきた。
(恥ずかしさのあまり、この日記を何年後かに削除することがないように・・・祈ろう。)
こうして、逆子最後の治療は終わった。
ここ最近はとにかくスピリチュアルな日々だった。
先生の所で産むことはできないけれども、先生はこれからもうちの工房の作品のファンでいてくれるといい、私も先生には感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだ。
翌日、3度目の転院手続きをして、スピリチュアルとは無縁の総合病院で産むこととなった。
今はこの子がどんな格好で過ごそうが、気にする事もなく、むしろ超計画的にスケジュールが進んでいる。
私と両親の心配性を案じてくれたみたいだ。
入院は明後日。
一体どんな子が産まれてくるのだろう。
この続きはまた出産後に。
2012年4月21日土曜日
不思議な1ヶ月②【外回転】
外回転をするのが決まってからは、ほとんどの運動がストップとなった。
歩くとすぐにお腹が張ってしまう、張ると回転治療ができないという理由だ。張り止めの薬と漢方を飲みながら、こんなゆるりとした日々無かったんじゃないかと思うような2日間をすごし、治療の日になった。
分娩台にのって治療が開始。
分娩室とはおもえないほど明るい。
自然光の入る、まあるいお部屋だった。
お腹をあたためる効果のあるオイルをお腹に塗り、最初はマッサージを受けている気分でゆったりだったが、
先生の力はどんどんつよくなって、私の顔も引きつった。
どうやら子は骨盤にお尻がすっぽりとはまって抜けないらしかった。
それを抜き出す作業。骨盤と肉のあいだに手をつっこんで、ぐいぐい。
これがめちゃ痛い。
痛いとお腹はすぐ張った。そのたびに中断。
それを見た先生が、いろいろしてくれる。
ヒーリングの音楽を流してもらったり、
レメディとよばれる治療に使われる砂糖玉を口に入れたりした。
先生は踏み台を持ってきて、さらにお腹を押した。
もう北斗の拳でケンシロウにやられるザコの気分。ひでぶひでぶ、あべし。ひでぶひでぶ、あべし。
でものけぞったりしたら、またお腹が張るので、ヨガの呼吸でなんとか耐える。
お腹の子も必死に動こうとしてますねと先生。
先生がちょっとやりましょうかねーなんていうから、
こんなに痛かったなんて!!!!めちゃなめてた!!!!!!
治療の間、気を紛らわす為、母と先生が外国の出産事情を話してくれた。
アフリカのどっかの地域では、出産後2時間後には、子どもを抱いてあいさつ回りだとか、
2週間でオムツが取れて、卒乳して、半年で立つとか。
でもそんな地域でも病院で産んで日本と変わらない医療行為をやるとそうはならないとか。
うちの母の話も負けてない。
ブラジルの農村生まれの私は、かなりサバイバルな状況下で生まれている。
今同じことを日本でやったら、ちょっとしたニュースになるレベルの話が多くて、それだけで本がかけそうだ。
それに比べたら、なんて素晴らしい、ニッポンの安全で安心な出産!ってことらしい。
(ってそりゃそうだ)
そんなこんなで1時間半。
骨盤からお尻が出たものの、先に進まず、タイムオーバー。
子どもが動こうとしているので、3日後もう1回やりましょう。
ということになった。この痛み、おかわり!とは言いづらいが・・・先生も必死にやってくださるし、もうお任せ。
先生はさらに逗子にある鍼灸院をご紹介してくださった。
ここの先生は、アメリカと中国で修行して鍼灸の腕は確かだが、
他と決定的に違うのは胎児の心を読んで、治療する点だそうだ。
すごい先生のもとには、すごい先生が集まるわけだ。
最後にお腹の子が元気がどうかお腹にモニターをつけて、安静になった。
心臓の音はまるで馬が走っているような音がした。しかもダービーの馬のように速くて、すごい音だった。
胎児の心拍数は親の2倍の速さ。というのは知っていたが、
この子はとにかく元気で、助産師からも「すごい心臓の持ち主ですね!生命力強いなあ」
なんていわれるほどのすごさ。動きまくって興奮しすぎて、たまに針を振り切って、助産師を驚かせた。普通は治療前後、こどもは静かにしている子が多いそうだ。
そういえば私も心臓の音が強くて、男の子ですって診断されたんだっけ。
最近は、寝ていても起きてしまうほどの胎動が激しさだったし、
でも、ちょっと安心した。
翌日、私は逗子に向った。今までにないスピリチュアルな逗子を体感する事になる。
続く
2012年4月20日金曜日
不思議な1ヶ月①【子どもとの対話】
産休に入って、私の心はいつもそわそわしていた。
いつも頭の片隅にあるのは、「逆子」
なにをやっても、この子の体勢が気になって気になって、なんだかそわそわ。
なんでかというと、
実家から一番近い、自分が「ここで産みたい!」と思う産院が逆子では産めないからだ。
お世話になる予定の池川先生は日本における胎内記憶の第一人者。
先生は物腰柔らかで地蔵のように優しい顔だけれども、雑誌・映画の監修・著書と
いつ寝てるんだか分からないほどに幅広く活動している。
池川クリニックは自然出産を第一に考え、胎児と妊婦のかかわりをなによりも大切にする。
胎児は初期の頃からお母さんを意識しているという考えにもとづいているので、妊婦への教育は他とはずいぶん違う。母とこの対話をまだ1センチの胎児のころから行う。
ここはほかに例をみない、希少な産院なのだ。しかもそれが実家の最寄産院で、
なんとうちの両親の工房のお客さんでもある。こんな縁、なかなかないと思う。
先生の著書はみな興味深く、共感できることが多かった。
絶対ここで産むんだ。そう決めていた。
・・・
妊娠30週。一度(独学お灸で?)治った逆子は自宅近くの産婦人科でお世話になる最後の日
には、逆子になっていて、先生には「逆子になる理由が見つからないので、治りますよ」
なんていわれつつがっくりしながら転院の手続きした。
その後2週間は、「よし、治るならなんでもやってやる!」と、やけになった。
三軒茶屋の逆子専門針灸に週3回通い、ヨガは週2回。激しく散歩して、毎日ラジオ体操。
毎日毎日、頭の位置が変わるのをすごいなすごいなといいながら、
しかし、なぜか頭は下にならないもどかしさで、
「きみは何で逆子なの?回って回って!」なんて毎日のように話しかけていた。
わたしは休んでいるようで、全然休んでいなかった。むしろやけになって心身ともに疲れていた。
そして、臨月になり、池川先生の産院での検診。
依然頭は上だった。
このままだと、うちでは産めないですね・・・と言われて、がっくり。
あんな熱いお灸を耐えたのにとか、ここまでの努力・お金のこともそうだけれど
なによりもここで産めない事と帝王切開のキーワードにショックを受けた。
そんな頃、産院主催の母親学級で、みどり先生というすごい先生に会った。
先生は気功の先生だが、日本で有数の「胎児の対話師」といわれる方だった。
(池川先生の考え方がそうだからというのもあるけれども、このクリニックに登場する先生方はかなりスピリチュアルな能力をもった方が多い。)
信じるか信じないかは、個人の自由だけど、この方は胎児のいうことを聞き取る能力があるのだ。
母親学級後、最後まで残って先生にこう尋ねた。
「先生、この子逆子で・・・」といいかけたところで
先生は
「お母さんは、私に回れとしか言わない」
強い口調でそういったのだった。
まだ説明途中だったのに・・・唖然となった。
ここまで池川先生の教えに従い、いろいろ話しかけたつもりだった。でもこの2週間、お腹の子には「回ってね」とばっかり話していた。
・・・おっしゃるとおりだった。
「あなたの事を第一に考えている」ということをお伝えしてみてね。
と先生は言ってくださった。
病院をでてから、歩きながら、泣いた。
自分の都合のいい事ばかり考えていた事に、そして強いこだわりに持ちすぎたことに猛反省した。
大切なのは
どんな形であれ、無事ならなんでもいい。ということだったのだ。
この日を境に、ここで産めないのが嫌だ、
帝王切開がやだとか考えなくなった。
こどもに謝った。
随分プレッシャーをかけたこと、本当にごめんね。
子育てのはじめの教訓を早々に教えてもらった気がした。
気がとてもに楽になった。
・・・
それから3日後、
池川先生は最後の逆子直しのチャレンジをしてみましょうと言ってくださった。
「外回転治療」だ。
お腹の上から胎児をぐるっと回す治療。しかし母子がすこぶる健康で、問題のないことが条件。
しかも先生がベテランでないと出来ない治療で、危険を伴うので、紙にサインをしなくてはできなかった。
先生は、その腕を頼りに外回転理由にくる妊婦もいるくらいベテランなので、もし治るなら・・・という気持ちでやることになった。
次に続く
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