2013年12月22日日曜日

自分の夢※今の時点で

夜中三時に、娘の夜泣き。
30分の応戦でなんとか寝てくれたものの、私は私で眠気がやや遠のいた…。


なので、今思い描いている夢の話をしようと思う。

ここ、2,3年。私はずっとずっと悩み続けていた。正確に言うと、3年どころではなく、20代後半からずっと。転職を繰り返したのは多分その答えを早く見つけだしたいということもあったかもしれない。


自分は何のために生まれてきたのか?その使命が必ずあるはずなのに、よくわからない。


悩みはこれ。

その答えの一つは子どもが生まれたことですっきりした。この子を産むために生まれた。

それも一つ。育休中はそれで納得。でも、私を軸に考えるとなると、それ以外にも何かあるのではないかと仕事復帰してから、また思い始めた。

今の仕事は楽しい。手作りするお母さんを応援する会社。給与こそ安いが掲げるモットーは素晴らしい。しかし、ずっと続けていく仕事ではない。この仕事は正直私じゃなくてもできる仕事だからだ。

わたしは将来何で食べていきたいのか?
私にしか出来ないことってなんなのだろうか。
本気で考えるようになった。


ここ2,3年、興味のあることはなんでもやってきた。

4年前、いつかカフェとかお店を出してみたいという気持ちで、個人経営のおいしい居酒屋でバイトを始めた。
楽しかった。でも、お酒が入った方の接客とひとりで回すホールの仕事は、段取りと愛嬌の勝負。自分には合わなかった。そしてお店を出すとなると…私の自由がなくなることについてもよくわかった。

これは違う。

それから趣味でフェイクスイーツを作り始めた。意外にうまく行った。うまくなったら、作家として売り出してみようかと考えた。でも趣味で終わった。そして子供ができたとたんに、作る機会を失った。
何万もかけた材料は眠ったまま。

これは趣味であって本業にはならない、これも違った。

育休中、復帰したらwebデザイナーとして働けるようにしておきたいという気持ちで、30万もの大金を払って通信のwebデザイナー講座を受講した。毎回出す課題では表彰されるくらいのなかなかの出来栄え。

ところがプログラミングに苦戦。デザインを起こすまでは猛烈に楽しいのに、その先は苦痛。
結局最終課題はデザインのみの課題をこなしただけで、サイト作りはしなかった。

わたしはwebデザイナーにはなれそうになかった。趣味で作る範囲で終わる。苦痛を克服するという情熱はなくプロにはなれないと思った。

出産前、4年間主催してきた読書会をオープンにして、大規模にやってみようかとも考えた。昔私を取材してくれたブクログや日経新聞にも声をかけ、企業などへの導入もすればなかなか面白いものになりそうだという案も浮かんで、読書会コンサルにでもなろうかとおもった。サイト立ち上げを途中までやったものの、面倒になった。読書会は意義があることだが子どもが生まれ、夜の時間をさけなくなった今、継続は至難の業。今それができていない私は今やるべきではないと思った。ママ読書会もやってみたものの、楽しいが仕事復帰後の継続はやはり難しく、今は休止中になってしまった。


一体何がしたいんだと…また振り出しに戻った。


そんな頃、毎月お菓子を作って持ってくるという前職から続くサークル活動をしている中で、友人にこんなことを言われた。

あなたは大好きな歴史にからめた仕事をしてみたら。と。

はっとなった。

そうだ、あたしは、それがしたかったんだ!



実は高校生の時に、歴史の先生になりたくて母校の大学を選んだ。しかし、歴史を教えるのはいいが、先生はそれだけを教えるのでは成り立たない。生徒の人生もみなくては・・・と思った瞬間に、教師の必修科目をとるのをやめた。やわなハートが砕け散るのが目に見えていた。

そして、じゃあ塾の先生に!なんておもったが、塾に行ったことがない私にはそれこそ縁がなく…教育業界は就職活動中にはやくもあきらめた。

でも歴史を教えたいという気持ちは強くあった。歴史だけでなく、日本の文化を伝えたいと私は常日頃からあった。

ここ5年で東北や中国地方、奈良京都など一人旅をし、東京中の史跡をめぐり、友人を自分のイラスト付きのガイドブックをつかって鎌倉を案内。日本史検定・江戸時代文化検定3級もとって、歴史好きの友達もたくさんできた。

あまり知られていない日本の古き良きところには、いつだってじいさまばあさましかいなくて、このままでは若い人たちが古き良き日本のよさをしらずに、明治維新の時のように神社仏閣をいとも簡単に壊す日が来るのではないかという危惧も覚えた。
また、有名でなくとも日本人・外国人にしってほしいエリアがこの日本にはごちゃまんとあることもわかった。

ではガイドになればいいのか。ボランティアガイドに。

そんなガイドさんならいくらでもいる。おじいちゃんおばあちゃんでもなれる。
私の強みは歴史だけでなく、ヲタク文化も武道も、日本のお菓子についても、実際やってきたので語れる点。

いろんな日本を紹介するなら自信がある。


もちろん日本人にも日本の良さを伝えたいけれども、やはり私は海外の文化を知ることにも非常に興味があり、外国人に対して、日本の良さを伝えたいと思った。

わたしのやりたいことはそれだ。


脳裏にあったのに、一番前にそれができてこなかったのは、英語への恐怖。

学校の成績の中でもダントツに低かった。英語。
中学生レベル。旅行でしか話さない。片言。


この夢以外の先ほど描いたような、飲食への憧れだったり、ウェブデザイナーへの道だったり、作家への道だったり・・・があって、英語勉強するのが嫌だということで、つい置き去りにされてきた、この夢。

でもいまなら、わかる。いろいろやったけど、夢ではなかったし、情熱をそそげるものではなかった。
私が本当にやりたかったのは、そう、高校生の時からぼんやり思っていた

「日本のよさをもっともっと伝えること、日本人にも、世界にも」

英語が今は話せなくとも、これから頑張りゃいいじゃない!

私の使命はそうだと、勝手に思い込むようにした。

昔コミケでマンガ売ったりコスプレしてみたり、なぜか縁あって弓道柔道やってきたり、就職率がもっとも低く、結論必要なしの烙印をおされ消滅しまった学科「日本アジア文化学科」に大学の時在籍していたのも、写真撮るのが好きで神社庭写真の写真集をつくったり・・これもその時は無駄なことしてきたと思っていたようなことも、全部全部このためにあった経験に違いない。


そう思った瞬間に、世界が開けた気がした。

そう、やるなら今でしょ!

ということで、本気で英語やることにします。
目指すは35歳で英語話せて、英語のある環境の仕事をすること。
世界遺産検定と、日本史検定2級と東京のガイドの資格を取って、日本の良いものにふれること。


40歳までに通訳案内士(国家資格)
着物がきれるようになること。日本文化の権現になる。

まずは、英検三級から(低!でもあたしこのレベル)

子どもがいるからうまく勉強できないかもだけど…



千里の道も一歩から。

ここに決意表明します。



30代後半の私がいつかこれを見て、笑っていますように!