2012年12月31日月曜日

☆8か月☆年末。今年の振り返り



毎年、なんだかんだ、

去年とは全然違う年だったなー。

と思う年末。

しかし今年は去年とは、というか今までと全く違う一年になった気がする。


親になったことし。



とにかく体が変化した。12キロふえて、今はそこから17キロ減って…
自分の意識とは関係なくでる母乳。こんなにおっぱいで悩んで泣いて、笑って喜んだ年はない。

妊娠から勝手に母仕様になった自分の体。とまどったし、びっくりしたし、面白かった。人間の神秘。


そんな、体の変化もさることながら、心の変化の大きいこと大きいこと。

結婚した時も大きな変化だなと思ったけどそんなん比じゃない!

自分の根底にあるものが変わったというか、脳みそ切り替えスイッチが発動したよう。


当然のように自分のことをまず考えていた今まで。
今は何をするにも、子どもにとってこれは~どうかな?とか、自分が中心ではない思考に。

物事の考え方が完全に変わる、不思議。


環境も劇的変化。
夜中まで仕事していた人が、毎日基本家にいるし(いや外出はおおかったけれども)

当然友人にも変化。

子どもがいたからこそできた友達。子どもができたからこそ、さらに仲良くなった友人。


ほんとうに変化の年だった!(変な言い方だけど)なによりも生きてる実感がわいた!

変化することはわかっていたけど、予想をはるかに超える自分の変化は今でも新鮮。

子育て元年の今年、来年は、きっとまた今年とは違う環境で違う自分に出会うにちがいない!


来年も楽しく過ごせますように★


皆様お世話になりました、来年も親子ともどもよろしく。

2012年12月16日日曜日

☆7か月☆子連れアロマ講座へ


先日、最近知り合ったママのお宅にて、アロマ講座を受けてきた。


先生も子連れなら、生徒も子連れ。
0歳児と1歳児のママとベビーで、授乳したり、あやしたりしつつ、お茶をのみながら終始和やかに。

アロマ超入門編の内容だったけれども、非常に勉強になりました。

動けない植物が、生きるために虫を誘惑させる香りを漂わせたり、敵に襲われないために強い毒をだしたり、そんな生きるパワーのはいった植物のエッセンスが、精油になって…

癒しの効果だけなのかと思っていたら、いやはや大間違い。

きちんとした知識で扱えば、生活が快適になるんだ! なんて、良いポイントを教えていただいた。

大発見!



そして、この誘ってくれたママ友。

元アナウンサーゆえか、

先生も、生徒もみんな美しかったり、こぎれいにしていたり、優雅だったり…


最年少のわたしが、一番おばさんに近い存在なのでは!?

と思うほどに、強い刺激をうけた。

特に先生、3人のお子さんがいるなんて信じられないほどキレイな現役アナウンサー。


子どもがいない時期には出会うことのなかった人たちに
母となってから、一気に出会う機会が増えて、

子どもがいても自分らしく輝く人たちがたくさんいることを知った今日この頃。

母になると、友人の幅がびっくりするほど増えるなあと実感。

お酒が飲めなくても
夜遊びできなくても、

また違った楽しみがあるとわかったのが、何よりも発見!


明後日は、来年ママ読書会を開催するための打ち合わせ。
これまた最近フェイスブックで仲良くしてもらっているママ友と。

こちらもがんばろ~~。

2012年11月6日火曜日

☆6か月☆そんなもんなのか!


仕事復帰のため、書類を揃え中。

会社から、給与のことについて、確認のメールが来た。


給与の欄みて…安っ!

正直凹。


夜中まで仕事していた私は、残業代というものがあったけれども、
復帰後は、17時あがりなので



給与が、新卒以下に・・・
年収にして100万以上ダウン。

復帰したみなさん、そうなんですかね・・・

悲しいかな、きっとそうだと思うんだけれども。



だからといって、webの業界、自分の該当職種の仕事
をイチから探すかといえば、この条件ではほぼないわけなので、(とくに17時上がりとか)
選択の余地はない。

そんでもって、うちの会社、昇給制度、実質なし。
こんな安月給でストレスフルな世界に戻ると思うと、鳥肌が…ひい。



はやく企業のお世話にならずに、自立したい。

勉強頑張ろ…
小さな一歩は今年度中に踏みだす予定!

2012年10月26日金曜日

☆6か月☆ハッピーハーフバースデー!!



娘が生まれて半年がたちました。

いやはや、この半年間はほんとにあっという間だったし、人生で一番今までと違う新しき日々だった気がする。

2週間ごとに彼女のマイブームは変わるが、
ここ最近は、歩行器に夢中!

いかんせん、誰に似たのか、家でゴロゴロしてるのが好きじゃないらしく
寝かすとよほどご機嫌じゃない限り、怒る怒る。

なんで寝てなきゃいけないの?天井見てたってつまんない!!と。



そこで3000円という新品格安で手に入れた歩行器に乗せたところ、ご機嫌うるわしく、にっこにこ。
家の中を後ろに進みながら、探検しまくり。

こっちも常に家でもだっこひもでだっこかおんぶという修行のような状態を回避できてありがたや。
7か月から使えますとか書いてあるからドキドキしたけれども、まあ買ってよかった。


そして、いよいよ何にでも興味しんしんなお年頃に。


何でも触る、何でもなめる。つかむ、投げる。



今までぼーっと眺めていたのが、

なにそれなにそれ、触らして触らして!と。

おもちゃ与えがいあり。1分もしないうちに大概ポイされるけど。
リアクションが楽しいので、さらに子育てが楽しくなってきたぞ。

あと半年もしたら、毎日こんなに一緒にはいられないもんね…
この時を大事にしなきゃね!



ハッピーハーフバースデー!!

2012年9月26日水曜日

☆5か月☆ニッポンジンの第一歩


5ヶ月になりました。

本日はニッポンジンの第一歩。米を食すに挑戦。

初めて作った10倍粥。なんか弓道部で的作った時に使ったのりを思い出した!

新米の時期に始められるなんて、ユーラッキーね!

なんていいながらあげてみたけど、やっぱ変な顔された~~。小さく2口食べたとこで、乳をくれコール。

「ええーおっぱいですか?」なんて言ってたら、ほどなくびえーんとなりまして。




いいんだ、ちょっとずつ、がんばろーぜ。私たちの子どもなら、絶対ご飯ラブになるわけだしね。

2012年9月19日水曜日

☆4か月☆ママは学生さん



オンラインスクールはじめて、もうすぐ一ヶ月。

1日1時間くらい、時間作って授業うけたり作業したりなんて楽勝!


なんて思っていたけれど、


現実はそう甘くなかった!!!!



まず、この子が起きている時間は、授業が授業にならん。ということが発覚。

ひとりでお座りできないので、膝の上にお座りさせて作業なんてできぬ!バンボに座らせても、長くはもたぬ。


そのため、寝かしつけた後に授業をうける。


しかし、寝かしつけてたら自分も朝まで寝ちゃった!っていうことも多かったり、夜は授業受けてる人が多いせいかなぜかコマ送り状態でイライラしてやめるとか…寝たらやろうと思っていた家事優先しちゃったりとか…

なんて障害が多いんだー!

たった1時間の作業なのに、これほどまでにできないとは・・・

自分侮ってました。です。


いや、料理なんかをはしょってこちら優先にすればできるんだろうけど、
私はけっこう面倒だなと思う割に料理が好きということで、意外にはしょりたくないということが、わかり…

あたしってやる気がないんだな~と思いました

☆4か月☆きまぐれな工場長!


相変わらず、女体の神秘な話。
(最近こればっかだな…自分の日記は)


そう、最大の謎は自分の乳であります。


右と左で、での違う左右の乳。

左はいっつもフル稼働。ゆえに妊娠前よりサイズが3つもあがった。
まあよくでる。でも変な張り方はしない、飲み始めれば、生産のサインがあって、どんどんでてきて、いい塩梅でとまる安定稼働なミルク工場。

しかし問題は右のミルク工場。
最近は出が悪いせいか、サイズは妊娠前より2サイズアップだったのが、1サイズアップにとどまってきた。というかそれはしぼんできたということなのだが。

右は出がいまいちだなー。もうしぼんじゃったかなー。


とかぼそっと言っていたところ。


昨日より、急に胸が張りだしてパンパンになり、サイズも左と同じになり…母乳が勝手にでてきて、服浸水。

いきなりのことに驚きつつ、勝手に想像・・。

<<ここからは想像>>


工場勤務A 「工場長、右の工場は生産があまりされていないといわれております!!!」

工場長 「なにぃ?生産し始めて4か月半、途切れたことはねぇぞ!」

工場勤務A 「左工場との生産量を指摘されているようであります。」

工場長 「なんだと~~。このやろう、こっちだって毎日頑張ってんだ!チクショウ、ここはやるときゃやることを見せつけてやろうじゃねーか!!」

工場勤務A 「そうです、工場長!!!やってやりましょう、左工場なんて、目じゃないっす!」

工場長「おめーら、フル稼働だ~~~~、受注はいってなくとも作れ~~~~、右工場はこんなもんじゃないとみせつけてやれー」

工場勤務員全員 「らじゃー!!」

<<想像終わり>>

って感じだと思う。
今も右の工場ミルク生産されすぎて、工場爆発寸前パンパンなのですが…。娘ねたのに~~。

いや、もう右の工場の悪口をいうのはやめよう、工場長に伝わっちゃうからね笑


自分の思うようにならない乳、不思議すぎるよ。

2012年9月4日火曜日

江戸時代の子育て


今の世の中。
ベビー用品はあまたあり、ママたちは便利グッズに日々助けられている。

かっこよくて、機能的なだっこひも。
快適なベビーカー。

勝手に揺れてくれるハイローチェア。
おいしそうな離乳食…


ベビー用品のコーナーに行くと、毎回感心させられる。


とともに、毎度思うのは、

昔の人は、どうやって子育てしていたんだろう。

ということ。

それで気になりすぎて、買ってみた。

中江克己著「江戸の躾と子育て」。


出産から、教育についてまで、読みやすくさらっと書いてあったが、わたしが一番興味深かったのが出産について。


・出産後、1週間産椅という椅子で正座させられる(これにより死ぬ人も)
・へその緒が戸籍がわり
・胎盤を桶に入れて、恵方に埋める。のし鮑なんかも一緒に
・最初に授乳中の人が初乳を与える
・生まれた日と奇数の日、3、5、7、9日は宴会
・母親が死んでしまったら、父親が乳母を必死で探す。その間は鰹節をしゃぶらしとく
・長い子で6歳まで乳を与える、通常3,4歳くらいまで

などなど…

それぞれには意味があってそうしているのだけれども、
今じゃ廃れた慣習も多い。

この時代は乳幼児が生き残れるパーセンテージが今よりもずっと低かったので、
子どもが健やかに育つようにという親の願いが、今よりもずっとずっと強かったに違いない。

迷信が本気で信じられ、親はあれこれとやったんだろう。


また、出産・子育てが命がけな上に大変だったからこそ、家族だけではなくその周辺に住むもの、親戚が一緒になって子育てをした。特に長屋に住む貧乏人なら、なおさら助け合って生きていく。

一人の赤ちゃんをみなが大事に育てたのだ。たくさんの人に育てられ、子どもは今よりも社交性が身についていたのではないか。

便利になりすぎた今は貧乏人だろうが、金持ちだろうが基本母親が一人ないし父親とふたりで育児を担当する。もちろん、親戚、近所の人や保育園、区の人だって助けてはくれるが、一緒に育てるわけではない。(お金さえあれば別かもしれないけれども)


昔がいい、今がいいということはないけれども、昔はつらくて不便で嫌だと思わせるのではなく、江戸時代の子育ても大変ながらも楽しかったのではないかと思わせる一冊だった。

2012年8月30日木曜日

☆4か月☆ナンバーワン授乳室はココ!


娘と散歩するにあたり、絶対にないとこまるのが、授乳室。
2時間以上の外出は、もう授乳室がないと絶対無理!

わたしは授乳室がある街にしかいけないわけで…超重要!


というわけで生後2か月から今まで行った授乳室でよかったところを忘備録的に書こうと思う!



第5位【自由が丘】 メイドインアースの授乳室

オーガニックコットンの店、メイドインアース。木のぬくもりいっぱいの店内は癒しの空間。

大型店以外では珍しい授乳室完備のお店だ。自由が丘は商品購入者しか授乳室貸してくださいと言いづらい店が多い中、ここは買わなくとも、ベビーがいるだけで、お声かけくださいねと快く貸してくれる。何の変哲もない小さなお部屋だけど、よかったのが、部屋の中にあるベビーベッド。

当然、オーガニックコットンのお布団で、これが極上…。気持ちよくって、娘も上機嫌!というか私がここに寝たい!

ベビーカーでなく、抱っこひも派のわたしは、ベビーベッドが授乳空間にあるのはポイント高し。
これが駅から近ければなあ。

しかしながら、極上のお布団。お値段高すぎて買えず。。。お店は素敵だけど、全体的に予算オーバーで、すいませんって思いながら毎度借りることになるであろう!



第4位【三軒茶屋】SEIYU

私がもっともよく使う西友の授乳室。キレイとも汚いともいえないのだけれども、ここがいいのは、やはり、カーテンの仕切られた中におむつ替え台があるということ。(おむつ替え台は別になっているところの方が多い)抱っこひもから解放される喜び!!!

売ってる紙パックのいちごミルク飲みながら、脱力。ああ、落ち着く。


第3位【吉祥寺】コピス吉祥寺

入口からしてかわいいコピスの授乳室。コピス自体が子連れにやさしいので、当然授乳室もグッド。授乳コーナー4つはなかなか多い方。使用中かどうかもカーテン前で確認できるのが良い。


第2位【二子玉川】二子玉川ライズ

ライズは子連れが半端なく多いので、平日でも授乳待ちなんてこともあるくらい人気。キレイで新しいので使ってて気持ちいい。個室じゃない授乳コーナーもあって、逆にほかのママともお話しできたりするのが良い!もちろん個室もあり、何か所かあるので、便利でよい!


第1位【渋谷】ヒカリエ

なんといっても、ここが一番素晴らしい、感動するくらい充実の設備。
授乳室手前までパパも入れて、お持つがえ台が立った子専用もあり、電子レンジ、離乳食食べられるところあり、素敵な音楽まで流れ、計りまで装備。

素晴らしい、素晴らしいぞヒカリエ!!!
ヒカリエは、女性の化粧室もすごい。マッサージコーナーまであって、休憩にかんしては右に出るものなしと思うなり。



おまけ

逆に残念な授乳室といえば

【高津】ベビーザらス
休日にたくさん人が来るからなのか、1つ1つの授乳コーナーが狭すぎる。全然休憩気分になれず…

【下北沢】タウンホールB1
上の階の授乳室がお休みで仕方なくここに。
蚊がぶんぶん飛んで、たくさん刺されたのと、ベビーベッドの布団が小汚く…もう使わん!

やっぱ授乳室は清潔感が第一だよなあ~~。

2012年8月23日木曜日

☆3か月☆激戦世田谷で保活中です!


婚活、妊活ときまして…次にやることといえば保活。
そう、保育園探しまっただ中です。

この炎天下の中、湯たんぽのような熱い娘を抱っこして、徒歩圏内の保育園見学&申し込み。お盆開けてから昨日はあっち、今日はこっち、明日はこっち…

もう、親子そろって、滝のような汗!!
暑いからといって何もしないでいると、早い者勝ちの保育園などは、どんどんキャンセル待ちの順番が遅くなるわけなので、のんびりしているわけにはいきやせん。

見つからなければ、社会復帰できないので、本気で活動。


最近になってわかったことは
所得で入園が決まるいわゆる「認可保育園」は、点数で決まるためよいのですが、それ以外の「認証保育園」なんぞは、早い者勝ちで決まるところが多く、たった5人の枠にキャンセル待ち100人とか、けっこう当たり前だったりすること…早い人だと、妊娠発覚と同時に申込みするらしい。(でも1歳児の枠はもっと大変。みなさん、産むなら4,5,6月狙いがお勧めです。)


生まれてもないお子ちゃまに、負けるなんてどうにも解せませんが。
仕事をもつ母が多い激戦の世田谷区、サバイバルです。


待機児童にならぬよう、母頑張ります。

2012年8月9日木曜日

☆3か月☆39度!!!


家には体温計がなかったので、赤ちゃんでも簡単、耳で1秒ではかれるものを先週購入。

これで娘が熱を出しても、はかれるぞーと意気込んだ矢先。


さっそく自分が使う羽目になった!



一昨日、なんかリンパはれてるし、口内炎いたいなあ。と思いつつ就寝、
朝起きたら…めちゃくちゃ気持ち悪いわ、体中の関節痛いわ、悪寒がするわ。

それでもなんとか夕飯をつくったものの、だんだん目の前がみえなくなってきて

こいつはやばいとはかってみたところ、39度近くの熱。熱なんぞ、めったに出さないので、ビックリ。多分十何年ぶり。


娘をだっこすらできなくなったところで、旦那に電話。

2時間後自宅に戻ってきてもらい、娘のお世話をしてもらって、事なきを得た。


今はへろへろだけど熱はさがって、なんとか洗濯くらいはできるくらいに。


母は風邪ひくものじゃないな。

いまんとこ娘にはうつってないみたいだけど、なんか心配。

体調管理は今まで以上にしないとね。

2012年8月3日金曜日

☆3か月☆母は学生になります


生まれて1年で復帰。


はやいものでもう8か月もない。


そろそろ、かねてから考えていた、ひとりプロジェクトを発動せねば・・・



ということで、今月末から私は乳飲子を抱えつつ、学生になります!!!!




っていってもオンラインスクールなので、通学はしない。
しかし学習期間は7か月間。残された育休をほぼまるまる使う。



かねてから考えていた、ひとりプロジェクトというのは、webの勉強を基礎から勉強し直すということ。
ベンチャーばかりで仕事してきたせいもあって、なんでも手さぐり、なんでも独学でやってきてしまった私。webの運営者として、知らなきゃいけないことも実は知らないことが多い。

そう痛感したのは、妊婦の時、自分に知識がないせいで効率が悪かったり、時間内に終わらなかったり、小さなことなのに、知らないせいで外注してお金・時間がかかったりなんてことがよくあったからだ。


後の8か月、家事と育児で暇ということはないけれども、いや、けっこう大変になることは覚悟の上なのだけれども
こんなに長い時間家にいられることも、今年度だけだと思ったら、

ほんとに今やるしかない!



育休後、使える人材になって社会復帰したいと思います!!

2012年7月26日木曜日

☆2か月☆子育てが楽しくなってきた訳




あと2日もたては娘は満3か月。


置いたら泣いちゃうなんてことも相変わらず多いけれども、全力投球子育て、痛い・眠いの全身疲労困憊のピークは終わったと思う。

仕事でもなんでもそうだけど、3か月も同じことをやってくると、大変なことでも、慣れてくるものだ。

子育ても、きっとそう。どうしたら泣いちゃうのか、泣いたらどうすべきなのか、寝てる時にやるべきことは…その傾向と対策が少しずつ分かって、あわてなくなる。慣れが心の余裕を作る。

それで慣れたから子育てが楽しくなってきた。というのもあるけれども、
楽しくなってきた理由はそれだけじゃない。

ここ最近の娘の劇的な変化がたぶん楽しくなってきた理由。

1、夜まとめて寝る
今まで長くても3時間ごとに夜中目を覚ましていたのに、長いと5時間寝るようになった。よって睡眠不足解消。

2、笑顔になることが多くなった
今までは顔の筋肉の動きで笑っているようにみえる新生児微笑状態だったのが最近ごきげんな時は、あやすと笑うようになった。笑ってくれるのが嬉しくってたまらない。赤ちゃんじゃなくとも、笑顔を見せるということは、まわりにとって大事なんだと感じる。

3、自分をじっと見てくれるようになった
目でものをおえるようになって、私を見てくれる回数が一段と増えた。今までは飲むものがありさえすれば、だれでもよかった?と思えることばかりだったけど、たくさん人がいても私を見てくれる、自分を探してくれていることが確認できるだけで、アイデンティティが確立されるというか、なんというか。自分がいる意味が見えてくる。母としてはとても嬉しいlことだ。

そんな変化のおかげで、子育てが楽しいといえるようになってきた。
最近は外出も問題なくできるようになって、行動範囲も拡大中。

何はともあれ、きわめて順調。ありがたいことです。

2012年6月10日日曜日

☆1か月☆タイムマネージメントを


左手でご飯をたべながら、youtubeみつつ、右手で子どもをだっこしてゆらす。
乳首がいたいよーといいつつ、おいしそうにのむわが子の笑顔にニヤリとする。
3時間乳をやらないと、左乳だけが爆発寸前のカチカチ山になる。
ママのにおいがするらしい自分は旦那からオッパイ魔人だの、母乳マシンといわれる。

2か月前には想像もできなかったことだらけだ。



こどもをかかえ、自宅に帰ってきて一週間がたった。

24時間体制子育て体制。
同じ家に帰ってきたとは思えないほど、以前とはまったく違う生活…でもそれも少しずつだが慣れてきた気がする。出産してから人生初!を何度経験してるんだろう。おもしろいことだらけだし、大変なことだらけだ。

一人暮らし、結婚・・・と生活スタイルがかわる出来事は今までにだってあったけれど、これほどまでに生活が変わったことはないのではないかと思う。

その中でももっとも変わった点が「時間の使い方」だ。

平日、旦那は終電帰り。やるべきことは一人でこなすしかない。


熟睡モードに入るまでは、置いたら泣いちゃう我が姫。
泣き始めたら両手はふさがる。授乳も2時間ごとだ。
でも、TODOリストには、やるべきことがいっぱい。

なので、寝た瞬間に、「しめた!やるぞ!」と重要なものから片づける。
しかし調子よくこなせるかなと思っても大体泣かれて、中断。

最初の3日間は、普段通りに家事をこなしたせいで、夕飯完成に4時間かかって、へろへろになったりしたけど今は先に何をやるべきなのか、優先順位のつけ方がうまくなり、バッファもとれるようになった。

そして、多少泣かせておく。に抵抗がなくなったのも大きい。
実家にいるときは1分泣かせておくのも、つらかったけど、5分くらいならいいか。なんて思いながら、キリのいいとこまで作業を進める。

前よりもストレスから解放されてきたような。

こうした生活をするうちに、
今まで随分優雅な時間の使い方してきたのだなと思うようになった。

タイムマネージメントのトレーニングには、子育てを推奨したい気分だ。

そして、次なる課題は、筋肉。
半端ない食欲旺盛ぶりで、予定より早くヘビーなベビーになってきたわが子。

今はいいが腕の筋肉がヤバそうだ…

2012年5月31日木曜日

☆0か月☆はじめての蛍


一昨日は一ヶ月検診。母子共に問題なく、外出もお風呂も解禁!

ということで昨日出産後(病院以外の)初めての外出をしてきた。

行ったのは、うちから一番近くの川。「侍従川」
この川には、毎年蛍がくるそうで、

父が夜散歩に行こうと誘ってくれたので、子どもを連れて久々に家族でお散歩。

川に行くと、近所の方が「いますよいますよー」と教えてくれた。
私達が蛍に喜んでいると、そばを歩いていた今風の女子高生たちが「え?蛍?」と寄ってきて

「やばい!初めてみたー!!!」なんて場面もあって、なかなか楽しい。
この日は20匹以上の蛍をみたけど、ここまで見られることはなかなかないらしい。
見に来た方々老若男女みな喜ぶ様子がいろんな所で見られた。


写真は暗すぎて撮れなかったけれども、
見知らぬ人同士が自然風景をみて感動し合い、言葉をかけるなんて、
東京の風景ではなかなかないことだなあなんて、感心。

横浜(限りなくはしっこだけど)もまだまだ捨てたものじゃないですな。
(川の改修工事が始まるらしく来年は見れないかもしれないというから残念だ)



しかし・・・

気がついたら1時間以上歩き回っていたわけだけれども、こんな歩くのは実に1ヵ月半ぶり
しかも3,5kgの子を前にだっこひもでドキドキしながらおぶったためか、腰も痛いし、傷も痛い。

帰って来た早々にダウン。。。

ぐったりしながら授乳してそのまま沈没。

元気になったとはいえまだまだ出産前の体力は戻っていない様子。
自宅に戻ったら買い物などで徐々に慣らしていくしかないなあ。と思った新米母なのでした。

2012年5月7日月曜日

こんにちは、赤ちゃん!



4月26日に女の子が産まれました!!!!


予定日よりも2週間早く、帝王切開になってしまったけれども、体重およそ2700g。

未熟児扱いにならず、髪も、筆が3本ぐらい作れるんじゃないかと思うほどふさふさ!
地蔵菩薩のような我が子とご対面したのは、手術開始からわずか10分の事。



手術日からはもう、衝撃の連続で、怒涛の日々でした。
特にすごかった衝撃を3つ、忘れないように書いておこうと思います。


衝撃①

【手術日の夜はひとりホラーハウス。】


痛み止めを背中の管からいれてもらっているものの、傷が痛いのと、後陣痛(子宮の収縮)のダブルで痛いのと起き上がれないのと、尿管気持ち悪い・・・

ゆえに一睡も出来ず、でっかいクマの出現と共にやってくるニッポンの夜明け・・・

夜中じゅう、「苦しい、痛い・・・」をすすり泣いて、この時ばかりは「もうこどもなんて産まない!」って思ってしまったけど、

朝開口一番に看護士さんに行った言葉は「お腹すいた・・・」

1日半以上ものを食べないなんて無理無理無理無理。ダメージダメージ。

衝撃②

【隣の分娩室。】

産まれた翌日は点滴、背中に管、尿管はいりっぱなしのふらふら状態で歩いて20m先の授乳室へ。なんとかたどり着いたものの
しかし、途中で立っていられなくなり、けっきょく車椅子での移動に。

一昨日まで健常者だったのに・・・なんだこの落差。

授乳室についたら、母乳はでないがとにかく吸わせる。
最初はでずに、となりの出のいいお母さんを横目にいいなあとつぶやいてみる。

すると、となりからすごい絶叫やうめき声が聞こえてきた

「死ぬうううううううぅぅぅ」とか
「痛いぃぃぃぃぃぃ」とか

北斗の拳かジョジョとかでしか聞いた事のないセリフが!

隣はカーテン隔てて分娩室。

「自然分娩まじこわい・・・」

経験してないカイザーの佐藤さん(帝王切開の人はスタッフ間でこう呼ばれる)はガクブル。

でもそのすぐあとに「おめでとうございますー」なんて聞こえると
授乳室じゅうのお母さん達が「良かった、良かった、おつかれさま」といい、ほっとした空気が流れる。

そうして次に授乳室を訪れる頃には小さなベッドが増えているのだ。

ちなみに今回帝王切開で前回自然分娩、両方をこの病院で経験したお母さんに、どっちが楽か聞いてみた。

返答は

「いや、どっちにしろツライですね・・・」と苦笑い。

どんな手段にしろお産は大変だ。ということです。



衝撃③

【そうして突然「母」となる。】


胎盤がはがれると、とたんに母乳出せの指令が体をめぐるらしい。

こんな貧乳だし、ほんとに母乳なんぞでるのかな?と思ったけれど



手術の3日後には、突然胸に鉄のパットがはいったかと思うくらいカチカチに!

「でた!おっぱい一夜城」

サイズが2サイズくらいあがったんじゃなかろうか、熱まででて、もはや腹の傷のことを忘れるほど痛くなった。

助産師さんにみせたら、「おおーすごい張ってきましたねーマッサージしましょう」


授乳室、たくさんのママがいる前で、胸を揉みしだかれ

「ぎゃあああああああああああああ」

「ごめんね、痛いね、我慢してね・・・」

「痛いです、ほんと痛いです・・・えーん」

公開処刑か!


と思うほど、痛くて泣いた。



その日から3日間、胸専用の氷みたいなので、冷やし続け、夜中のマッサージ。
最後のマッサージでは、ビームがでて
退院の頃には「素晴らしいおっぱいの持ち主」といわれるまでに。

しかし、吸いづらい私の胸は、傷だらけのローラ。
依然飲んでもらうたびに激痛なのだった・・・


* * * * *



とまあ、痛いことだらけの入院生活だったけれども、
痛みをかみしめる間もなく、次から次へと新しい大変な事が発生するため、どんだけ痛かったのか思い出せない。

実は開腹手術は2度目で10年前同じ場所を切った。
でも何も生まれない手術と、生命が誕生する手術ではまったく違う。

痛い以上の大きな感動。この子を守らなきゃ、育てなきゃという使命感があって、
回復力も全然違うのには驚いた。(前回、翌日立ち上がることさえ出来なかった。)

出産って、大変だけど、女でしか味わえないすごい経験だなとあらためて思う。



それから何の問題もなく、無事に生まれてきた我が子に感謝したい。

多くの方が子が出来ない事に悩む中で、そもそも子どもを授かる事体ありがたいことで、
多くの人が流産や異常な妊娠をして、大変な思いをするなかで、私はたいした問題なく、お産の1ヶ月前まで働くことができ、

お産だって(帝王切開は、自然分娩以外なので異常な分娩と母子手帳には書かれてしまうけれども)むしろ計画的で、心配性の私や家族にはむしろ安心安全な方法だった。


同じ部屋のお母さんの子どもは、重度の障害をもって生まれてきたようで、1日泣き続けていたけれども、出産後も子に異常もなく、妊娠出産時期、わたしはとても幸運だったと思う。





支えてくれた皆さん、応援してくれたみなさん、
本当にありがとうございました!

さて、これからはじまる長い長い子育て時期、楽しく、頑張ります。

2012年4月23日月曜日

不思議な1ヶ月③【再び対話と回転】


鍼灸院は新逗子駅から1分の所にあった、海が近い。

ご自宅のアパートを一部治療室にしているので、まるで人のうちに遊びにきたみたいだ。

ハーブのとてもいい香りがするこの部屋は、カラーセラピーのボトルや、ヒーリング系の絵などが飾ってあるので、治療室というには、ちょっとかたすぎくらいだった。

先生は笑顔が美しい女性の先生。
一通り問診が終ると、私の手をとって、お腹の子と通信をし始めた。

私は人に手を握られると、途端にありえないほど汗をかくので、それが気になって気になってしょうがなかったのだが、先生はものともせず、目をつぶって、感じたことを話してくださった。

羊水が冷たくって、回りづらい。

ということを聞いた。

お母さんが、働きすぎていて、とても心配になったとも言われた。
それが自分のせいかもしれないと、思っていると。


先生は、この子はとても優しい子ですねと言ってくださった。
また涙が出た。

その後は、回りやすいお腹にするためにお灸とマッサージを受けた。
とても心地がよかった。

最後に甘茶をいただいて、治療が終わった。
終始不思議な気分だった。その日は1日、お腹が張る事はなかった。
お腹が柔らかくて、子どもはよく動いた。

・・・

2日後、外回転治療のため、再び池川先生のところへ赴いた。
でも、私はもう、回っても回らなくても、どちらでもよかった。この子に任せようと思った。


先生はなにやら不思議な曼荼羅を部屋において治療を始めた。
かわった形だったので、質問すると、どうやらお知り合いの強いパワーを持つ先生のお力添えをしてもらうためのお守りだそうだ。

その先生とは、ずっと昔の前世でのお付き合いがあり、時代は卑弥呼の時代。
二人とも産婆だったそうだ。

なんとも不思議な話である。
池川先生はこんな話すると嫌がる人もいるので、なんていわれたが、私はこういった話嫌いじゃないし、むしろ前世はあると信じたい方だ。

子どもはというと、頭の位置は変わったものの、依然としてまた逆子だった。
鍼灸に行ったかいもあってか、前回より随分回りやすくなりましたねと先生は言った。

でもやっぱりくるんとはいかない。

治療はやっぱり痛かった。
先生が音楽にあわせて振動が伝わる座布団を出してきた。
ヒーリング音楽がテンポのいいものにかわった。

この子は、音楽にあわせて体を動かすのが好きだと感じましたので。
なんて言われた。もしやそれは父親譲りか・・・

またレメディの砂糖玉もでてきた。

1時間たって
先生は、ここまで行くとくるんってなるんですけどね。
どうやら、回りたくない何かがあるようですよ。続けますかといわれたので、

時間が許す限りはと伝えて続けてもらった。

じゃあ最後に頑張ってみます!と先生はさらに力を入れた。
正直とても痛かった。


・・・やっぱり、回りたくないみたいですね。
ここまで来て、頭が下に来ないのは何か理由があることが多いんです。


20分後、汗をかきながら、先生はついに断念した。

一生懸命やってくださった先生には、感謝の言葉しかなかった。
先生は最後に5分ほど、お腹に手を当てて、何か感じ取っているようだった。
そしてゆっくりとお話し始めた。


僕は、紹介した他の先生に比べたら、胎児の力や思いを感じ取る能力は、まだまだなんですが

こんな僕でも感じるほど、すごい光を放ってますね。
この子は、普通の子じゃないと思います。
ここまで、すさまじいエネルギーを持った子はなかなかいません。

この世に必要な人になりますよ、安全に生まれてくるべき人です。


まだ生まれていないのに、
まさかそこまで褒められるとは、ビックリしたし、嬉しかった。

それが本当になるのかどうかは、分からないけれども、
(というか自分の力量を試される気もするけど)なんだか希望が湧いてきた。

(恥ずかしさのあまり、この日記を何年後かに削除することがないように・・・祈ろう。)


こうして、逆子最後の治療は終わった。
ここ最近はとにかくスピリチュアルな日々だった。

先生の所で産むことはできないけれども、先生はこれからもうちの工房の作品のファンでいてくれるといい、私も先生には感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだ。

翌日、3度目の転院手続きをして、スピリチュアルとは無縁の総合病院で産むこととなった。

今はこの子がどんな格好で過ごそうが、気にする事もなく、むしろ超計画的にスケジュールが進んでいる。

私と両親の心配性を案じてくれたみたいだ。

入院は明後日。
一体どんな子が産まれてくるのだろう。

この続きはまた出産後に。

2012年4月21日土曜日

不思議な1ヶ月②【外回転】


外回転をするのが決まってからは、ほとんどの運動がストップとなった。

歩くとすぐにお腹が張ってしまう、張ると回転治療ができないという理由だ。張り止めの薬と漢方を飲みながら、こんなゆるりとした日々無かったんじゃないかと思うような2日間をすごし、治療の日になった。

分娩台にのって治療が開始。
分娩室とはおもえないほど明るい。
自然光の入る、まあるいお部屋だった。


お腹をあたためる効果のあるオイルをお腹に塗り、最初はマッサージを受けている気分でゆったりだったが、

先生の力はどんどんつよくなって、私の顔も引きつった。

どうやら子は骨盤にお尻がすっぽりとはまって抜けないらしかった。
それを抜き出す作業。骨盤と肉のあいだに手をつっこんで、ぐいぐい。

これがめちゃ痛い。
痛いとお腹はすぐ張った。そのたびに中断。

それを見た先生が、いろいろしてくれる。

ヒーリングの音楽を流してもらったり、
レメディとよばれる治療に使われる砂糖玉を口に入れたりした。

先生は踏み台を持ってきて、さらにお腹を押した。
もう北斗の拳でケンシロウにやられるザコの気分。ひでぶひでぶ、あべし。ひでぶひでぶ、あべし。

でものけぞったりしたら、またお腹が張るので、ヨガの呼吸でなんとか耐える。

お腹の子も必死に動こうとしてますねと先生。


先生がちょっとやりましょうかねーなんていうから、
こんなに痛かったなんて!!!!めちゃなめてた!!!!!!


治療の間、気を紛らわす為、母と先生が外国の出産事情を話してくれた。
アフリカのどっかの地域では、出産後2時間後には、子どもを抱いてあいさつ回りだとか、
2週間でオムツが取れて、卒乳して、半年で立つとか。
でもそんな地域でも病院で産んで日本と変わらない医療行為をやるとそうはならないとか。

うちの母の話も負けてない。

ブラジルの農村生まれの私は、かなりサバイバルな状況下で生まれている。
今同じことを日本でやったら、ちょっとしたニュースになるレベルの話が多くて、それだけで本がかけそうだ。

それに比べたら、なんて素晴らしい、ニッポンの安全で安心な出産!ってことらしい。

(ってそりゃそうだ)

そんなこんなで1時間半。
骨盤からお尻が出たものの、先に進まず、タイムオーバー。

子どもが動こうとしているので、3日後もう1回やりましょう。
ということになった。この痛み、おかわり!とは言いづらいが・・・先生も必死にやってくださるし、もうお任せ。

先生はさらに逗子にある鍼灸院をご紹介してくださった。

ここの先生は、アメリカと中国で修行して鍼灸の腕は確かだが、
他と決定的に違うのは胎児の心を読んで、治療する点だそうだ。

すごい先生のもとには、すごい先生が集まるわけだ。


最後にお腹の子が元気がどうかお腹にモニターをつけて、安静になった。
心臓の音はまるで馬が走っているような音がした。しかもダービーの馬のように速くて、すごい音だった。

胎児の心拍数は親の2倍の速さ。というのは知っていたが、
この子はとにかく元気で、助産師からも「すごい心臓の持ち主ですね!生命力強いなあ」
なんていわれるほどのすごさ。動きまくって興奮しすぎて、たまに針を振り切って、助産師を驚かせた。普通は治療前後、こどもは静かにしている子が多いそうだ。

そういえば私も心臓の音が強くて、男の子ですって診断されたんだっけ。


最近は、寝ていても起きてしまうほどの胎動が激しさだったし、
でも、ちょっと安心した。

翌日、私は逗子に向った。今までにないスピリチュアルな逗子を体感する事になる。

続く

2012年4月20日金曜日

不思議な1ヶ月①【子どもとの対話】


産休に入って、私の心はいつもそわそわしていた。

いつも頭の片隅にあるのは、「逆子」

なにをやっても、この子の体勢が気になって気になって、なんだかそわそわ。

なんでかというと、
実家から一番近い、自分が「ここで産みたい!」と思う産院が逆子では産めないからだ。

お世話になる予定の池川先生は日本における胎内記憶の第一人者。
先生は物腰柔らかで地蔵のように優しい顔だけれども、雑誌・映画の監修・著書と
いつ寝てるんだか分からないほどに幅広く活動している。

池川クリニックは自然出産を第一に考え、胎児と妊婦のかかわりをなによりも大切にする。
胎児は初期の頃からお母さんを意識しているという考えにもとづいているので、妊婦への教育は他とはずいぶん違う。母とこの対話をまだ1センチの胎児のころから行う。

ここはほかに例をみない、希少な産院なのだ。しかもそれが実家の最寄産院で、
なんとうちの両親の工房のお客さんでもある。こんな縁、なかなかないと思う。

先生の著書はみな興味深く、共感できることが多かった。
絶対ここで産むんだ。そう決めていた。

・・・

妊娠30週。一度(独学お灸で?)治った逆子は自宅近くの産婦人科でお世話になる最後の日
には、逆子になっていて、先生には「逆子になる理由が見つからないので、治りますよ」
なんていわれつつがっくりしながら転院の手続きした。

その後2週間は、「よし、治るならなんでもやってやる!」と、やけになった。

三軒茶屋の逆子専門針灸に週3回通い、ヨガは週2回。激しく散歩して、毎日ラジオ体操。
毎日毎日、頭の位置が変わるのをすごいなすごいなといいながら、
しかし、なぜか頭は下にならないもどかしさで、

「きみは何で逆子なの?回って回って!」なんて毎日のように話しかけていた。
わたしは休んでいるようで、全然休んでいなかった。むしろやけになって心身ともに疲れていた。


そして、臨月になり、池川先生の産院での検診。

依然頭は上だった。

このままだと、うちでは産めないですね・・・と言われて、がっくり。

あんな熱いお灸を耐えたのにとか、ここまでの努力・お金のこともそうだけれど
なによりもここで産めない事と帝王切開のキーワードにショックを受けた。



そんな頃、産院主催の母親学級で、みどり先生というすごい先生に会った。


先生は気功の先生だが、日本で有数の「胎児の対話師」といわれる方だった。
(池川先生の考え方がそうだからというのもあるけれども、このクリニックに登場する先生方はかなりスピリチュアルな能力をもった方が多い。)
信じるか信じないかは、個人の自由だけど、この方は胎児のいうことを聞き取る能力があるのだ。

母親学級後、最後まで残って先生にこう尋ねた。

「先生、この子逆子で・・・」といいかけたところで

先生は

「お母さんは、私に回れとしか言わない」

強い口調でそういったのだった。

まだ説明途中だったのに・・・唖然となった。


ここまで池川先生の教えに従い、いろいろ話しかけたつもりだった。でもこの2週間、お腹の子には「回ってね」とばっかり話していた。

・・・おっしゃるとおりだった。

「あなたの事を第一に考えている」ということをお伝えしてみてね。
と先生は言ってくださった。



病院をでてから、歩きながら、泣いた。

自分の都合のいい事ばかり考えていた事に、そして強いこだわりに持ちすぎたことに猛反省した。


大切なのは
どんな形であれ、無事ならなんでもいい。ということだったのだ。

この日を境に、ここで産めないのが嫌だ、
帝王切開がやだとか考えなくなった。


こどもに謝った。
随分プレッシャーをかけたこと、本当にごめんね。

子育てのはじめの教訓を早々に教えてもらった気がした。
気がとてもに楽になった。


・・・

それから3日後、
池川先生は最後の逆子直しのチャレンジをしてみましょうと言ってくださった。

「外回転治療」だ。


お腹の上から胎児をぐるっと回す治療。しかし母子がすこぶる健康で、問題のないことが条件。
しかも先生がベテランでないと出来ない治療で、危険を伴うので、紙にサインをしなくてはできなかった。

先生は、その腕を頼りに外回転理由にくる妊婦もいるくらいベテランなので、もし治るなら・・・という気持ちでやることになった。

次に続く

2012年3月30日金曜日

1日3回。食べる前に据える


私が生む予定の産院は帝王切開をやっておらず、逆子だった場合、いちから病院探しをしなくてはならない。

もうすぐ臨月だというのに…はっきり言ってきつい!見つかるのか!怖い!


ということで、逆子直しは私の死活問題なわけで。
友人の勧めで逆子直しを得意とする針灸院へ。

毎日蹴られる場所が変わるので、治ったかな~なんて考えていたら、前回病院に行った時より、180度回転して、再び横に寝ているわが子。

先生に、
あ、ここが頭ですね、ここ、かかとですね~

なんて腹越しに触らせてもらって、「わわわわ・・・ほんとだ!!!」
あまりにリアルな感触にびびったり。


治療時期としては、もうぎりぎりアウトなんじゃないかってくらいのタイミング。
「も~~ちょっと早く来てほしかった~~」なんて言われながらも、とりあえず実家に帰る36週までに先生となんとかがんばることになった。
この人が標準よりやや小さいのがせめてもの救いだ。

逆子になるのはこれで2回目。
先生に「わたし家でお灸してます。前回はそれで治りました。」
といったところ、自称お灸マニアの私のやり方は半分あってて、半分間違っていることが判明。

「うーん、それじゃあお灸の威力半減だね」なんて、

自分では調べつくしたうえでやったつもりがちょっとがっかり。
やっぱり、早く行っておくんだったな…

そうして針灸はじめて10分。
なんと30~40度回った。

しかも、え?ここ?というところに鍼や灸をしていく先生。
人間の体って不思議すぎる…
しかもお灸の火、素手で消している先生。どうなってんだ・・・

このままいけば今日治るんじゃ…とおもっていたところ。
はい、今日はここまで。と。
(無理な回転はとても危険らしく)

「ここでどんなに頑張っても限界があります。
家で毎日、お灸をきちんとやることこそ重要なんです」と言われ、

最後に自宅お灸の指導があった。
朝昼晩。食べる前に据える。赤ちゃんを上に押し上げるツボ、下に下げるツボ。
交互にやるとのこと。据える場所はどうやら間違ってなかったようだ。

まあ、自分でも努力できるという点はありがたい。



これでだめだったらあきらめるけど、とにかく頑張ります!!!!!

2012年3月22日木曜日

☆3か月☆進捗を


昨日できなかったことが、今日はできるようになっている。


今自分がこんな具合に、毎日進化していたら、どれほど楽しいだろう。
なんて思うほど、最近の娘の成長は著しいものだ。

娘はまもなく4か月に差し掛かる。

体は、標準か、少し大きめ。
昨日行った産後ヨガ教室。そこにくる赤ちゃんたちの中では、最年少ながらサイズは倍の長さ生きている先輩たちと引けを取らない。

先月まで、外出してもただ一点私だけをみていたものが、今は、すべてのものに興味をしめし、ずっとキョロキョロ。電車に乗ってもバスに乗っても外をみたり、電車の中にいる人に愛想ふりまく。

あかちゃんスマイルは周りのいる人を笑顔にする。特にばーちゃんには、この笑顔たまらんらしい。

世田谷に住むそこらじゅうの上品なばーちゃんが話しかけてくる。ばーちゃんキラーにいな。



それから、3か月をすぎたころから、私は彼女によくこう言う
「またカニさんになってるよ」


いかんせん、よだれがすごいのだ、泡がすごいのだ。
下手すると1時間でスタイを交換するほどだ。

せんたくものに占めるスタイの割合が日に日にまして、ついに私にスタイ作りをさせるほどになった。

でも、よだれは消化器官が正常にはたらき、離乳の準備が進んでいる証拠。そして、よだれの多い子は虫歯にもなりにくいという。

素晴らしいじゃないか。母は喜んでスタイを作るぞ。


そして、最近の一番の進歩は、自分の手を自分だと認識したことだ。
暇さえあれば指しゃぶり、自分が握ったものをじっと観察する。

ほんの2週間前まで、手と脳はリンクされてなかった。反射で手を握ることはあっても、自分の意志でものを握ったりすることはなかった。今も完全とは言い難いけれど、あと1か月もしないうちにおもちゃで遊ぶようになるのではないかと予想。

赤ちゃんの1か月は、大人の1年はあるのではないかと、改めて思う。
4か月の成長も楽しみだ。