2012年9月26日水曜日

☆5か月☆ニッポンジンの第一歩


5ヶ月になりました。

本日はニッポンジンの第一歩。米を食すに挑戦。

初めて作った10倍粥。なんか弓道部で的作った時に使ったのりを思い出した!

新米の時期に始められるなんて、ユーラッキーね!

なんていいながらあげてみたけど、やっぱ変な顔された~~。小さく2口食べたとこで、乳をくれコール。

「ええーおっぱいですか?」なんて言ってたら、ほどなくびえーんとなりまして。




いいんだ、ちょっとずつ、がんばろーぜ。私たちの子どもなら、絶対ご飯ラブになるわけだしね。

2012年9月19日水曜日

☆4か月☆ママは学生さん



オンラインスクールはじめて、もうすぐ一ヶ月。

1日1時間くらい、時間作って授業うけたり作業したりなんて楽勝!


なんて思っていたけれど、


現実はそう甘くなかった!!!!



まず、この子が起きている時間は、授業が授業にならん。ということが発覚。

ひとりでお座りできないので、膝の上にお座りさせて作業なんてできぬ!バンボに座らせても、長くはもたぬ。


そのため、寝かしつけた後に授業をうける。


しかし、寝かしつけてたら自分も朝まで寝ちゃった!っていうことも多かったり、夜は授業受けてる人が多いせいかなぜかコマ送り状態でイライラしてやめるとか…寝たらやろうと思っていた家事優先しちゃったりとか…

なんて障害が多いんだー!

たった1時間の作業なのに、これほどまでにできないとは・・・

自分侮ってました。です。


いや、料理なんかをはしょってこちら優先にすればできるんだろうけど、
私はけっこう面倒だなと思う割に料理が好きということで、意外にはしょりたくないということが、わかり…

あたしってやる気がないんだな~と思いました

☆4か月☆きまぐれな工場長!


相変わらず、女体の神秘な話。
(最近こればっかだな…自分の日記は)


そう、最大の謎は自分の乳であります。


右と左で、での違う左右の乳。

左はいっつもフル稼働。ゆえに妊娠前よりサイズが3つもあがった。
まあよくでる。でも変な張り方はしない、飲み始めれば、生産のサインがあって、どんどんでてきて、いい塩梅でとまる安定稼働なミルク工場。

しかし問題は右のミルク工場。
最近は出が悪いせいか、サイズは妊娠前より2サイズアップだったのが、1サイズアップにとどまってきた。というかそれはしぼんできたということなのだが。

右は出がいまいちだなー。もうしぼんじゃったかなー。


とかぼそっと言っていたところ。


昨日より、急に胸が張りだしてパンパンになり、サイズも左と同じになり…母乳が勝手にでてきて、服浸水。

いきなりのことに驚きつつ、勝手に想像・・。

<<ここからは想像>>


工場勤務A 「工場長、右の工場は生産があまりされていないといわれております!!!」

工場長 「なにぃ?生産し始めて4か月半、途切れたことはねぇぞ!」

工場勤務A 「左工場との生産量を指摘されているようであります。」

工場長 「なんだと~~。このやろう、こっちだって毎日頑張ってんだ!チクショウ、ここはやるときゃやることを見せつけてやろうじゃねーか!!」

工場勤務A 「そうです、工場長!!!やってやりましょう、左工場なんて、目じゃないっす!」

工場長「おめーら、フル稼働だ~~~~、受注はいってなくとも作れ~~~~、右工場はこんなもんじゃないとみせつけてやれー」

工場勤務員全員 「らじゃー!!」

<<想像終わり>>

って感じだと思う。
今も右の工場ミルク生産されすぎて、工場爆発寸前パンパンなのですが…。娘ねたのに~~。

いや、もう右の工場の悪口をいうのはやめよう、工場長に伝わっちゃうからね笑


自分の思うようにならない乳、不思議すぎるよ。

2012年9月4日火曜日

江戸時代の子育て


今の世の中。
ベビー用品はあまたあり、ママたちは便利グッズに日々助けられている。

かっこよくて、機能的なだっこひも。
快適なベビーカー。

勝手に揺れてくれるハイローチェア。
おいしそうな離乳食…


ベビー用品のコーナーに行くと、毎回感心させられる。


とともに、毎度思うのは、

昔の人は、どうやって子育てしていたんだろう。

ということ。

それで気になりすぎて、買ってみた。

中江克己著「江戸の躾と子育て」。


出産から、教育についてまで、読みやすくさらっと書いてあったが、わたしが一番興味深かったのが出産について。


・出産後、1週間産椅という椅子で正座させられる(これにより死ぬ人も)
・へその緒が戸籍がわり
・胎盤を桶に入れて、恵方に埋める。のし鮑なんかも一緒に
・最初に授乳中の人が初乳を与える
・生まれた日と奇数の日、3、5、7、9日は宴会
・母親が死んでしまったら、父親が乳母を必死で探す。その間は鰹節をしゃぶらしとく
・長い子で6歳まで乳を与える、通常3,4歳くらいまで

などなど…

それぞれには意味があってそうしているのだけれども、
今じゃ廃れた慣習も多い。

この時代は乳幼児が生き残れるパーセンテージが今よりもずっと低かったので、
子どもが健やかに育つようにという親の願いが、今よりもずっとずっと強かったに違いない。

迷信が本気で信じられ、親はあれこれとやったんだろう。


また、出産・子育てが命がけな上に大変だったからこそ、家族だけではなくその周辺に住むもの、親戚が一緒になって子育てをした。特に長屋に住む貧乏人なら、なおさら助け合って生きていく。

一人の赤ちゃんをみなが大事に育てたのだ。たくさんの人に育てられ、子どもは今よりも社交性が身についていたのではないか。

便利になりすぎた今は貧乏人だろうが、金持ちだろうが基本母親が一人ないし父親とふたりで育児を担当する。もちろん、親戚、近所の人や保育園、区の人だって助けてはくれるが、一緒に育てるわけではない。(お金さえあれば別かもしれないけれども)


昔がいい、今がいいということはないけれども、昔はつらくて不便で嫌だと思わせるのではなく、江戸時代の子育ても大変ながらも楽しかったのではないかと思わせる一冊だった。