2012年4月23日月曜日

不思議な1ヶ月③【再び対話と回転】


鍼灸院は新逗子駅から1分の所にあった、海が近い。

ご自宅のアパートを一部治療室にしているので、まるで人のうちに遊びにきたみたいだ。

ハーブのとてもいい香りがするこの部屋は、カラーセラピーのボトルや、ヒーリング系の絵などが飾ってあるので、治療室というには、ちょっとかたすぎくらいだった。

先生は笑顔が美しい女性の先生。
一通り問診が終ると、私の手をとって、お腹の子と通信をし始めた。

私は人に手を握られると、途端にありえないほど汗をかくので、それが気になって気になってしょうがなかったのだが、先生はものともせず、目をつぶって、感じたことを話してくださった。

羊水が冷たくって、回りづらい。

ということを聞いた。

お母さんが、働きすぎていて、とても心配になったとも言われた。
それが自分のせいかもしれないと、思っていると。


先生は、この子はとても優しい子ですねと言ってくださった。
また涙が出た。

その後は、回りやすいお腹にするためにお灸とマッサージを受けた。
とても心地がよかった。

最後に甘茶をいただいて、治療が終わった。
終始不思議な気分だった。その日は1日、お腹が張る事はなかった。
お腹が柔らかくて、子どもはよく動いた。

・・・

2日後、外回転治療のため、再び池川先生のところへ赴いた。
でも、私はもう、回っても回らなくても、どちらでもよかった。この子に任せようと思った。


先生はなにやら不思議な曼荼羅を部屋において治療を始めた。
かわった形だったので、質問すると、どうやらお知り合いの強いパワーを持つ先生のお力添えをしてもらうためのお守りだそうだ。

その先生とは、ずっと昔の前世でのお付き合いがあり、時代は卑弥呼の時代。
二人とも産婆だったそうだ。

なんとも不思議な話である。
池川先生はこんな話すると嫌がる人もいるので、なんていわれたが、私はこういった話嫌いじゃないし、むしろ前世はあると信じたい方だ。

子どもはというと、頭の位置は変わったものの、依然としてまた逆子だった。
鍼灸に行ったかいもあってか、前回より随分回りやすくなりましたねと先生は言った。

でもやっぱりくるんとはいかない。

治療はやっぱり痛かった。
先生が音楽にあわせて振動が伝わる座布団を出してきた。
ヒーリング音楽がテンポのいいものにかわった。

この子は、音楽にあわせて体を動かすのが好きだと感じましたので。
なんて言われた。もしやそれは父親譲りか・・・

またレメディの砂糖玉もでてきた。

1時間たって
先生は、ここまで行くとくるんってなるんですけどね。
どうやら、回りたくない何かがあるようですよ。続けますかといわれたので、

時間が許す限りはと伝えて続けてもらった。

じゃあ最後に頑張ってみます!と先生はさらに力を入れた。
正直とても痛かった。


・・・やっぱり、回りたくないみたいですね。
ここまで来て、頭が下に来ないのは何か理由があることが多いんです。


20分後、汗をかきながら、先生はついに断念した。

一生懸命やってくださった先生には、感謝の言葉しかなかった。
先生は最後に5分ほど、お腹に手を当てて、何か感じ取っているようだった。
そしてゆっくりとお話し始めた。


僕は、紹介した他の先生に比べたら、胎児の力や思いを感じ取る能力は、まだまだなんですが

こんな僕でも感じるほど、すごい光を放ってますね。
この子は、普通の子じゃないと思います。
ここまで、すさまじいエネルギーを持った子はなかなかいません。

この世に必要な人になりますよ、安全に生まれてくるべき人です。


まだ生まれていないのに、
まさかそこまで褒められるとは、ビックリしたし、嬉しかった。

それが本当になるのかどうかは、分からないけれども、
(というか自分の力量を試される気もするけど)なんだか希望が湧いてきた。

(恥ずかしさのあまり、この日記を何年後かに削除することがないように・・・祈ろう。)


こうして、逆子最後の治療は終わった。
ここ最近はとにかくスピリチュアルな日々だった。

先生の所で産むことはできないけれども、先生はこれからもうちの工房の作品のファンでいてくれるといい、私も先生には感謝と尊敬の気持ちでいっぱいだ。

翌日、3度目の転院手続きをして、スピリチュアルとは無縁の総合病院で産むこととなった。

今はこの子がどんな格好で過ごそうが、気にする事もなく、むしろ超計画的にスケジュールが進んでいる。

私と両親の心配性を案じてくれたみたいだ。

入院は明後日。
一体どんな子が産まれてくるのだろう。

この続きはまた出産後に。

2012年4月21日土曜日

不思議な1ヶ月②【外回転】


外回転をするのが決まってからは、ほとんどの運動がストップとなった。

歩くとすぐにお腹が張ってしまう、張ると回転治療ができないという理由だ。張り止めの薬と漢方を飲みながら、こんなゆるりとした日々無かったんじゃないかと思うような2日間をすごし、治療の日になった。

分娩台にのって治療が開始。
分娩室とはおもえないほど明るい。
自然光の入る、まあるいお部屋だった。


お腹をあたためる効果のあるオイルをお腹に塗り、最初はマッサージを受けている気分でゆったりだったが、

先生の力はどんどんつよくなって、私の顔も引きつった。

どうやら子は骨盤にお尻がすっぽりとはまって抜けないらしかった。
それを抜き出す作業。骨盤と肉のあいだに手をつっこんで、ぐいぐい。

これがめちゃ痛い。
痛いとお腹はすぐ張った。そのたびに中断。

それを見た先生が、いろいろしてくれる。

ヒーリングの音楽を流してもらったり、
レメディとよばれる治療に使われる砂糖玉を口に入れたりした。

先生は踏み台を持ってきて、さらにお腹を押した。
もう北斗の拳でケンシロウにやられるザコの気分。ひでぶひでぶ、あべし。ひでぶひでぶ、あべし。

でものけぞったりしたら、またお腹が張るので、ヨガの呼吸でなんとか耐える。

お腹の子も必死に動こうとしてますねと先生。


先生がちょっとやりましょうかねーなんていうから、
こんなに痛かったなんて!!!!めちゃなめてた!!!!!!


治療の間、気を紛らわす為、母と先生が外国の出産事情を話してくれた。
アフリカのどっかの地域では、出産後2時間後には、子どもを抱いてあいさつ回りだとか、
2週間でオムツが取れて、卒乳して、半年で立つとか。
でもそんな地域でも病院で産んで日本と変わらない医療行為をやるとそうはならないとか。

うちの母の話も負けてない。

ブラジルの農村生まれの私は、かなりサバイバルな状況下で生まれている。
今同じことを日本でやったら、ちょっとしたニュースになるレベルの話が多くて、それだけで本がかけそうだ。

それに比べたら、なんて素晴らしい、ニッポンの安全で安心な出産!ってことらしい。

(ってそりゃそうだ)

そんなこんなで1時間半。
骨盤からお尻が出たものの、先に進まず、タイムオーバー。

子どもが動こうとしているので、3日後もう1回やりましょう。
ということになった。この痛み、おかわり!とは言いづらいが・・・先生も必死にやってくださるし、もうお任せ。

先生はさらに逗子にある鍼灸院をご紹介してくださった。

ここの先生は、アメリカと中国で修行して鍼灸の腕は確かだが、
他と決定的に違うのは胎児の心を読んで、治療する点だそうだ。

すごい先生のもとには、すごい先生が集まるわけだ。


最後にお腹の子が元気がどうかお腹にモニターをつけて、安静になった。
心臓の音はまるで馬が走っているような音がした。しかもダービーの馬のように速くて、すごい音だった。

胎児の心拍数は親の2倍の速さ。というのは知っていたが、
この子はとにかく元気で、助産師からも「すごい心臓の持ち主ですね!生命力強いなあ」
なんていわれるほどのすごさ。動きまくって興奮しすぎて、たまに針を振り切って、助産師を驚かせた。普通は治療前後、こどもは静かにしている子が多いそうだ。

そういえば私も心臓の音が強くて、男の子ですって診断されたんだっけ。


最近は、寝ていても起きてしまうほどの胎動が激しさだったし、
でも、ちょっと安心した。

翌日、私は逗子に向った。今までにないスピリチュアルな逗子を体感する事になる。

続く

2012年4月20日金曜日

不思議な1ヶ月①【子どもとの対話】


産休に入って、私の心はいつもそわそわしていた。

いつも頭の片隅にあるのは、「逆子」

なにをやっても、この子の体勢が気になって気になって、なんだかそわそわ。

なんでかというと、
実家から一番近い、自分が「ここで産みたい!」と思う産院が逆子では産めないからだ。

お世話になる予定の池川先生は日本における胎内記憶の第一人者。
先生は物腰柔らかで地蔵のように優しい顔だけれども、雑誌・映画の監修・著書と
いつ寝てるんだか分からないほどに幅広く活動している。

池川クリニックは自然出産を第一に考え、胎児と妊婦のかかわりをなによりも大切にする。
胎児は初期の頃からお母さんを意識しているという考えにもとづいているので、妊婦への教育は他とはずいぶん違う。母とこの対話をまだ1センチの胎児のころから行う。

ここはほかに例をみない、希少な産院なのだ。しかもそれが実家の最寄産院で、
なんとうちの両親の工房のお客さんでもある。こんな縁、なかなかないと思う。

先生の著書はみな興味深く、共感できることが多かった。
絶対ここで産むんだ。そう決めていた。

・・・

妊娠30週。一度(独学お灸で?)治った逆子は自宅近くの産婦人科でお世話になる最後の日
には、逆子になっていて、先生には「逆子になる理由が見つからないので、治りますよ」
なんていわれつつがっくりしながら転院の手続きした。

その後2週間は、「よし、治るならなんでもやってやる!」と、やけになった。

三軒茶屋の逆子専門針灸に週3回通い、ヨガは週2回。激しく散歩して、毎日ラジオ体操。
毎日毎日、頭の位置が変わるのをすごいなすごいなといいながら、
しかし、なぜか頭は下にならないもどかしさで、

「きみは何で逆子なの?回って回って!」なんて毎日のように話しかけていた。
わたしは休んでいるようで、全然休んでいなかった。むしろやけになって心身ともに疲れていた。


そして、臨月になり、池川先生の産院での検診。

依然頭は上だった。

このままだと、うちでは産めないですね・・・と言われて、がっくり。

あんな熱いお灸を耐えたのにとか、ここまでの努力・お金のこともそうだけれど
なによりもここで産めない事と帝王切開のキーワードにショックを受けた。



そんな頃、産院主催の母親学級で、みどり先生というすごい先生に会った。


先生は気功の先生だが、日本で有数の「胎児の対話師」といわれる方だった。
(池川先生の考え方がそうだからというのもあるけれども、このクリニックに登場する先生方はかなりスピリチュアルな能力をもった方が多い。)
信じるか信じないかは、個人の自由だけど、この方は胎児のいうことを聞き取る能力があるのだ。

母親学級後、最後まで残って先生にこう尋ねた。

「先生、この子逆子で・・・」といいかけたところで

先生は

「お母さんは、私に回れとしか言わない」

強い口調でそういったのだった。

まだ説明途中だったのに・・・唖然となった。


ここまで池川先生の教えに従い、いろいろ話しかけたつもりだった。でもこの2週間、お腹の子には「回ってね」とばっかり話していた。

・・・おっしゃるとおりだった。

「あなたの事を第一に考えている」ということをお伝えしてみてね。
と先生は言ってくださった。



病院をでてから、歩きながら、泣いた。

自分の都合のいい事ばかり考えていた事に、そして強いこだわりに持ちすぎたことに猛反省した。


大切なのは
どんな形であれ、無事ならなんでもいい。ということだったのだ。

この日を境に、ここで産めないのが嫌だ、
帝王切開がやだとか考えなくなった。


こどもに謝った。
随分プレッシャーをかけたこと、本当にごめんね。

子育てのはじめの教訓を早々に教えてもらった気がした。
気がとてもに楽になった。


・・・

それから3日後、
池川先生は最後の逆子直しのチャレンジをしてみましょうと言ってくださった。

「外回転治療」だ。


お腹の上から胎児をぐるっと回す治療。しかし母子がすこぶる健康で、問題のないことが条件。
しかも先生がベテランでないと出来ない治療で、危険を伴うので、紙にサインをしなくてはできなかった。

先生は、その腕を頼りに外回転理由にくる妊婦もいるくらいベテランなので、もし治るなら・・・という気持ちでやることになった。

次に続く