2012年4月20日金曜日
不思議な1ヶ月①【子どもとの対話】
産休に入って、私の心はいつもそわそわしていた。
いつも頭の片隅にあるのは、「逆子」
なにをやっても、この子の体勢が気になって気になって、なんだかそわそわ。
なんでかというと、
実家から一番近い、自分が「ここで産みたい!」と思う産院が逆子では産めないからだ。
お世話になる予定の池川先生は日本における胎内記憶の第一人者。
先生は物腰柔らかで地蔵のように優しい顔だけれども、雑誌・映画の監修・著書と
いつ寝てるんだか分からないほどに幅広く活動している。
池川クリニックは自然出産を第一に考え、胎児と妊婦のかかわりをなによりも大切にする。
胎児は初期の頃からお母さんを意識しているという考えにもとづいているので、妊婦への教育は他とはずいぶん違う。母とこの対話をまだ1センチの胎児のころから行う。
ここはほかに例をみない、希少な産院なのだ。しかもそれが実家の最寄産院で、
なんとうちの両親の工房のお客さんでもある。こんな縁、なかなかないと思う。
先生の著書はみな興味深く、共感できることが多かった。
絶対ここで産むんだ。そう決めていた。
・・・
妊娠30週。一度(独学お灸で?)治った逆子は自宅近くの産婦人科でお世話になる最後の日
には、逆子になっていて、先生には「逆子になる理由が見つからないので、治りますよ」
なんていわれつつがっくりしながら転院の手続きした。
その後2週間は、「よし、治るならなんでもやってやる!」と、やけになった。
三軒茶屋の逆子専門針灸に週3回通い、ヨガは週2回。激しく散歩して、毎日ラジオ体操。
毎日毎日、頭の位置が変わるのをすごいなすごいなといいながら、
しかし、なぜか頭は下にならないもどかしさで、
「きみは何で逆子なの?回って回って!」なんて毎日のように話しかけていた。
わたしは休んでいるようで、全然休んでいなかった。むしろやけになって心身ともに疲れていた。
そして、臨月になり、池川先生の産院での検診。
依然頭は上だった。
このままだと、うちでは産めないですね・・・と言われて、がっくり。
あんな熱いお灸を耐えたのにとか、ここまでの努力・お金のこともそうだけれど
なによりもここで産めない事と帝王切開のキーワードにショックを受けた。
そんな頃、産院主催の母親学級で、みどり先生というすごい先生に会った。
先生は気功の先生だが、日本で有数の「胎児の対話師」といわれる方だった。
(池川先生の考え方がそうだからというのもあるけれども、このクリニックに登場する先生方はかなりスピリチュアルな能力をもった方が多い。)
信じるか信じないかは、個人の自由だけど、この方は胎児のいうことを聞き取る能力があるのだ。
母親学級後、最後まで残って先生にこう尋ねた。
「先生、この子逆子で・・・」といいかけたところで
先生は
「お母さんは、私に回れとしか言わない」
強い口調でそういったのだった。
まだ説明途中だったのに・・・唖然となった。
ここまで池川先生の教えに従い、いろいろ話しかけたつもりだった。でもこの2週間、お腹の子には「回ってね」とばっかり話していた。
・・・おっしゃるとおりだった。
「あなたの事を第一に考えている」ということをお伝えしてみてね。
と先生は言ってくださった。
病院をでてから、歩きながら、泣いた。
自分の都合のいい事ばかり考えていた事に、そして強いこだわりに持ちすぎたことに猛反省した。
大切なのは
どんな形であれ、無事ならなんでもいい。ということだったのだ。
この日を境に、ここで産めないのが嫌だ、
帝王切開がやだとか考えなくなった。
こどもに謝った。
随分プレッシャーをかけたこと、本当にごめんね。
子育てのはじめの教訓を早々に教えてもらった気がした。
気がとてもに楽になった。
・・・
それから3日後、
池川先生は最後の逆子直しのチャレンジをしてみましょうと言ってくださった。
「外回転治療」だ。
お腹の上から胎児をぐるっと回す治療。しかし母子がすこぶる健康で、問題のないことが条件。
しかも先生がベテランでないと出来ない治療で、危険を伴うので、紙にサインをしなくてはできなかった。
先生は、その腕を頼りに外回転理由にくる妊婦もいるくらいベテランなので、もし治るなら・・・という気持ちでやることになった。
次に続く
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